駅の中で朝食を済ませてから、8時32分発の岩瀬浜行きに乗るため、富山港線のホームへ向かった。富山港線は、北陸本線とは違い、直流電化のため、一番北側にホームがある。ホームへ行くと、まだ列車は来てなかった。8時20分過ぎに列車が到着した。475系の急行型であった。入れ替わって乗りこむが、乗客は少なかった。ワンマンかと思ったが、車掌が乗務していた。8時32分定刻に発車した。駅間の距離が短いのか、すぐについてしまう感じだ。城川原駅は、行き違いが出来る駅で、反対列車を待ち合わせてから、発車した。しかし、乗客が思った以上に少ないのは、驚きであった。終点の岩瀬浜についたときは、たった2人しかいなかった。
岩瀬浜駅は、本当に何もない駅であった。とりあえず、写真を撮り、発車時間まで待つ事にした。発車時間がせまってくると、どこからきたのか、乗客が結構乗ってきた。そして、9時28分発車した。次の競輪場前駅では、すでに車が並んでいた。今日はレースがあるのだろう。電車から降りる人はいなかったが…。途中の駅からは、かなり乗りこんで、終点の富山には、9時48分に到着した。あまりパッとしなかった富山港線の旅であった。
10時09分発の特急「サンダーバード」に乗るために、すぐに自由席乗り場へ向かう。まだ、列がなく、安心して先頭の位置で待っていた。10時になって、「サンダーバード」が入線してきた。余裕で車両中央の席を確保して、転換して足を伸ばして発車時間まで待つ事にした。富山が始発だからなのか、乗りこんでくる客が鈍かった。しかし、この考えが甘いと思ったのは、発車間近であった。なんと、自由席の車両へ指定席車両からたくさん流れ込んできたのであった。どうやら、列車の案内や駅の案内で詳しく表示されていなかったみたいであった。だが、立ち客でることもなく、定刻通り発車した。
やはり、何度乗っても、サンダーバードは速いと認識してしまう。
あっという間に10時45分、金沢に到着した。ここで、半分くらいが降りた。どうやら短距離客も多い事が分かった。すぐに和倉温泉行きのホームへ向かい、列車を待つ事にした。しばらくすると、特急「北越」が入線してきた。来たのは、485系のリニューアル車であった。明日のこの時間はこの「北越」に乗るので、久々にこれに乗れることが出来ると思い、楽しみが一つ増えた。11時06分「北越」は出発した。自由席はかなり空いていたので、明日は必ず座れるだろうと確信した。
11時10分和倉温泉行きの「サンダーバード」が到着した。入ってきた瞬間、かなり混んでいるなぁ…と見ていたが、ここで、一気に降りてしまい、余裕で席を確保する事が出来た。車内を見ると、間接照明があり、681系である事が分かった。和倉温泉行きの自由席は、1両しかなく、ほぼ満席になってしまった。途中、七尾線が分岐する津幡駅までは、ものすごく速かったが、七尾線に入ってしまうと、スローダウンしてしまった。ここで、車掌からのと鉄道の乗車券と急行券を購入した。まさか、車内で買えるとは思いもよらなかった。Y字型ポイントが多いのか駅に近づくと、必ず減速するようだ。
金沢から30分で羽咋に到着した。ここで、数人が降りた。この駅で乗り込む客がいたのも少々驚いた。ここから七尾までは、山間を通過して行く。12時03分七尾駅に到着した。ここで、全員が降りてしまった。次に乗る「のと恋路号」に乗りかえるのであろうか。座れないかもしれないという、心配もあったが、このまま我々は、終点の和倉温泉まで「サンダーバード」で行くことにした。和倉温泉に到着した。七尾でたくさん降りていたので、降りる人は全くいなかった。数人の乗客がのと鉄道乗り場へ向かった。
反対のホームで「のと恋路号」を待っていると、サンダーバードは車内清掃の最中であった。それを見学していると、案内放送もないまま、のと恋路号が警笛を鳴らしながら、到着した。すぐに車内へ入る。しかし、かなりたくさんの乗客がいて、転換クロスシートが一つしか空いていなかった。高校生らもたくさんいたのは驚いたが、急行料金が安いため利用が多いのであろう。のと恋路号の車両は、転換クロスシートと中央部にソファーがある2両編成の車両であった。次の能登中島駅では、短距離利用が証明される様に、高校生を含めて、かなりの乗客が降りた。一番前が空いたので、速攻で席を移動した。海沿いを走るような感じがしたが、山の中を走っている区間が多い。のと鉄道で一番大きな駅の穴水に到着した。
ここで、運転手が変わり、乗客も入れ替わった。穴水駅を出ると、輪島線跡の線路が並行して続いていた。しかし、すぐに輪島線のほうは、車止めがついていたが、その先にも線路は続いていた。しばらく過ぎると、輪島線跡は、離れていき、北の山の方に向かっていた。一方こちらのほうは、海が広がり、かなり近くまで接近する所もあった。意外だったのは、トンネルが多かった事だった。しかも、短いのではなく、長いトンネルがたくさんあったのも、驚きであった。海沿いを走るイメージしかなかったのと鉄道を改めて知る事が出来た。急行が止まる駅では、のと鉄道の駅員ではなく、委託駅員がほとんどであった。しかも急行なのに、途中駅から乗車してくる客が多いのも、驚いた。終点近くまで来て、恋路駅に着いた。
恋路駅は、何もない無人駅で待合室に一冊のノートが置いてあった。駅を降りていくと、恋路が浜が見えた。終点に近づくに連れ、雨が強くなってきた。13時58分珠洲駅に到着した。ここで、のと恋路号は終点。ここから先は、蛸島行きの普通列車が連絡していた。だが、3両編成なのに、一番前しか乗車する事が出来ず、無駄な回送だな、と思った。
14時、たったの3人しか乗客がなく、発車した。14時06分蛸島に到着した。何もない駅だった。ここが能登半島の果てであると言い聞かせながら、写真を撮った。
驚いた事にここの駅でも、団体客が待っていた。そのため、座る事ができなかった。まさか、二日続けて、団体客と重なるとは、とても運の良い事である。最悪である。この団体も「乗って残そうのと鉄道」というお題がついていたそうだ。全く変な時間に乗り合わせてしまったものである。まさか、座れないとは思っても見なかったのである。
約10分で折り返し、珠洲駅でぎゅう詰めの列車を捨てた。途中から乗る一般客はこの乗車率の多さに、驚きを隠せないのであろう。あのたくさんのお客に・・・。
まだ発車時間に40分以上あるからなのか、のと恋路号の車内には入れなかった。しばらくホームで待っていると、発車20分前にやっと扉が開いた。しかし、乗りこむ客は全くいなかった。この珠洲駅は、通り抜けが可能みたいで、鉄道を利用しない人間が、反対側へ行くために、何人も通りぬけるのをみた。後続の接続列車、蛸島発の列車が到着したが、誰も乗客はいなかった。これが本当の、のと鉄道の現実なのであろう。やはり、運が良かったみたいであった。
15時07分、のと恋路号は発車した。乗客は、高校生を含め、数人しかいなかった。
途中の駅で広い遺跡のある駅に到着した。縄文真脇という駅であった。と言うことは、縄文時代の遺跡なのであろう。資料館などの建物が見えていた。帰りの「のと恋路号」は、ガラガラであった。最高速度をチェックしてみると、時速80キロ少しで限界であるようだった。穴水を過ぎ、能登中島では高校生が乗りこんできた。ここで、かなりの乗客となった。急行料金も安いため、痛い出費ではないのだろう。16時52分和倉温泉駅に到着した。反対のホームには、接続の「サンダーバード」が停車していた。ここで、二日目が終了した。ただ、旅館へ行くのに、駅から徒歩で30分もかかった事が一番のつらさであった。